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古関裕而の息子は古関正裕?ヴィレッジ・シンガーズ?画像は?孫は?

古関裕而と内山金子さんは1930年(昭和5年)にご結婚し、1932年(昭和7年)に長女雅子さん、1934年(昭和9年)に次女紀子さんが誕生。
今回ご紹介する長男の古関正裕(こせきまさひろ)さんは1946年(昭和21年)に産まれました。

古関正裕さんの生い立ちは?

幼少期から音楽に親しみ小学1年から12年間、ピアノを習います。
ビートルズやベンチャーズなど最先端の洋楽に触れ合いながら、学生時代はカントリーバンドやフォークバンドを経てヴィレッジ・シンガーズのキーボードとして参加。
「さぁレコードデビューだぞ」という時に脱退をして音楽と違う道に進むのでありました。

マルタス
マルタス
偉大な父を超えられない。かなわない。と思ったのかな?

早大を卒業後は日本経済新聞社を勤めあげ、現在は「喜多三」という音楽ユニットを組み
「昭和の激動した時代に人々を勇気づけた古関メロディーを歌い継ぎたい」と、父親である古関裕而さんの楽曲を中心にライブ活動を行っています。

マルタスのここだけのお話

正裕さんに長女・幸子さんが産まれます。
古関裕而さんにとって女の子の孫は初めてでした。
それはもう可愛かったに違いありません。
目尻を下げながらお孫さんとの時間を楽しんでた事でしょう。
スヤスヤ眠る幸子さんのお顔を見た裕而さんは思いつきます。
「そうだ!子守唄をつくろう」
幸子さんが1歳の時でした。

その曲は世間に非公開で長年家族しか知らない曲でしたが、譜面を起こし正裕さんが作詞し近年発表されたのです。

タイトルは「幸子の子守唄」
喜多三のライブで演奏しているそうなので、ぜひ聴いてみたいですね!

NHK朝ドラのエールで流れるのか?そこにも注目です。

正裕さんが在籍したヴィレッジ・シンガーズとは?

フォーク・トレッカーズという学生バンドがメンバーチェンジをしながら実力を積み重ね、1966年にヴィレッジ・シンガーズと改名しホリプロと契約。
カントリーの大御所である寺本圭一さんがプロデュースし「暗い砂浜」でレコードデビュー。正裕さんは直前に脱退していましたが、初期の収録には参加しています。
2枚目のシングル「君を求めて」を発表するがヒットせずギターとベースが脱退。
新メンバーを入れ、3枚目のシングル「バラ色の雲」をステップに「好きだから」「亜麻色の髪の乙女」など続々とヒットを連発するのでした。

同時期には堺正章さん・かまやつひろしさんが在籍していたスパイダース、沢田研二さんのタイガース、萩原健一さんのテンプターズなどが有名で、ヴィレッジ・シンガーズを含めこのようなバンドをGS(グループサウンズ)と呼ぶようになり大ブームを巻き起こす社会現象にもなりました。

2002年、島谷ひとみさんによる「亜麻色の髪の乙女」がリバイバルヒットし、NHKの紅白歌合戦にも出場しましたので覚えている方も多いと思います。

オリジナルレコード SP盤

それでは古関裕而さんのレコードを見ていきましょう

画像
1942年(昭和17年)
シンガポール晴れの入城
作詞:野村俊夫
作曲:古関裕而
歌:伊藤久男
コロムビア 100454

最後に

若い頃は父親の曲を演奏するなんて思ってもみなかったそうですが、年齢を重ねるうちに
父の曲も演奏してみたいと思うようになり古関メロディーを受け継がれました。
皆さんにも古い歌謡曲に興味をもってもらえたらなと思います。